生きづらいという言葉の問題

「生きづらい」という言い方が広まりすぎていると感じます。あまりに広まりすぎて、この言葉の問題を心配するようになりました。
なぜ生きづらいという言い方が、こんなにも広まったのでしょう。
生きていく上で、何かしらの辛いことは必ずありますから、全ての人間は、生きづらいと感じることがあると言えます。つまり、生きづらいという言い方はだれにでも当てはめることができるので、広まりやすいのだと思います。
生きづらいという言い方は特にオンライン上で広まっています。
SNSで「私は生きづらい」と言えば、「私も生きづらい」「あなたも生きづらいのですか、私もです」というように、生きづらいと思う人がたくさん見つかります。自分の生きづらさに共感してくれた仲間だと感じることもできるでしょう。
SNSではインパクトの強い言葉ほどバズりやすいと思います。生きづらいという言い方は、死を連想させる強い表現であり、インパクトがあります。
つまり、生きづらいという言い方は、多くの人に当てはまり、なおかつ極めて強い表現であるため、バズりやすい表現であり、インプ(インプレッション)を稼ぐのに利用できるのです。もしかすると、バズらせたい時に、意図的に生きづらいという表現を用いる人もいるかもしれません。
しかし、生きづらいという言葉の中身はそれぞれ違います。
実は、一人一人が別の辛さや問題を抱えています。たとえ同じ問題を抱えていたとしても、それに対する捉え方もまた人それぞれ異なります。そのため、生きづらいと言っていた人たち同士がコミュニケーションを進めていくと、私の「生きづらい」とあなたの「生きづらい」は違うと気づくことになります。最初は私の生きづらさを「分かってくれた」と思っていたのに「実は違った」「裏切られた」などと思ってがっかりすることもあるでしょう。
私は、生きづらいという言葉の問題は、本当の問題を隠し、ともすれば問題を飛躍させ深刻化させることだと思います。
人生で辛いことはたくさんあります。幼いときは、人より運動ができない、走るのが遅い、成績が悪いなど、競走に負けた時に辛さを感じるはずです。親や兄弟姉妹との仲が悪くなり、辛さを抱えることもあります。家族から何かを期待されてプレッシャーを感じて辛くなることもあります。大人になってからも辛いことはたくさんあります。病気になったり、お金が足りなかったり、好きな人から嫌われたり、職場でハラスメントにあったりなどなど。
このように、辛い出来事に出会った時にどうしたらいいのでしょうか。
ある問題に直面した時は、その問題を細かく分析することが大事です。自分が辛いと感じるのは、いったいどういうことなのか、なぜ辛いのか、どのくらい辛いのか、など細かく分析して、具体的な言葉にしていきます。特に、辛さの原因が分かれば、対策や解決方法も考えることができますから、原因の分析がもっとも大事です。
しかし、問題を生きづらいという言葉だけで表現してしまい、具体的な言葉で表現しないと、原因は分かりませんし、解決方法も分かりません。先ほども書きましたが、生きづらいとは死を連想させる言葉です。そのため、生きづらいことを解決するには死ぬしかないという、デッド・オア・アライブ的な発想になってしまうことが心配です。たとえば、成績が悪いことの解決策が自殺しかないと思わせてしまうかもしれません。当たり前ですが、成績が悪いことと、死ぬことは全く別のことであり、同じ次元で語るべきことではありません。しかし、成績が悪くて辛いことを「生きづらい」と表現してしまうと、これが生きるか死ぬかという問題にすり替わってしまいます。これは明らかに論理の飛躍ですが、論理の飛躍は感情的になると起きやすくなります。辛い時は感情的な時ですから、論理の飛躍が起きてもおかしくありません。また、特に子どもは論理を飛躍させやすいので、子どもが生きづらいと話すのを見ると怖いなと思います。
本当なら生きづらいという言葉を使わずに、自分の辛さを細かく分析して具体的な言葉にしていけば、その辛さは解決したかもしれません。しかし、生きづらいという言葉を使うことで、抱えている問題が分かりにくくなり、また、生きるか死ぬかという問題に飛躍してしまいます。これでは自殺を推奨しているようなものです。子どもの自殺が増えている現在で、このような表現が子どもたちにまで広まってしまったことは、深刻な事態だと思います。
生きづらいとは、元々は精神疾患を抱える人の問題を社会に提起するために使われた言葉だそうです。多くの人から無視または軽視されていたことを大きな問題だと社会に分かってもらうために、死を連想させる強い言葉が必要だったのだと思います。つまり、生きづらいとは、当初から、社会問題化させるために、バズらせるための言葉であり、インプ稼ぎの言葉であったわけです。
社会問題の解決のために、生きづらいという表現を使うのは悪いことではないと思います。しかし、生きづらいと言う言葉を自分に使うとろくなことはありません。自分の抱える問題の本質が見えなくなったり、自殺したい気持ちを強めてしまったりというように、困った事態を引き起こしてしまいます。
自分の問題を生きづらいと表現せずに、具体的な言葉で表現することをおすすめします。
これだけ生きづらいという言葉が広まってしまった現在、もうこの言葉を使うなと言っても無駄でしょう。せめて、自分に使わず、誰かを助けるために使ってほしいと願うばかりです。また、他人に対して使うとしても、生きづらいという言葉の中身を見てほしいと思います。人間は千差万別、十人十色で、皆ちがいます。生きづらい気持ちの中身は人それぞれ違うのです。細かく見ていくことが大切です。